岩井山 龍光院について

真言宗豊山派について
『輪違』は、仏さまと衆生は本来同じ存在であり、分け隔てるものではない ― 「凡聖不二(ぼんしょうふに)」という教えを根本としています。
真言密教は、大乗仏教を大成する形で7世紀ごろのインドで始まりました。その後中国に伝わり、延暦23年(804)に弘法大師・空海が長安(現在の西安)に渡って恵果阿闍梨よりその教えを授かり、日本に伝えました。真言宗は空海によって東寺や高野山を中心に広められ、平安時代末には興教大師によって新たな力が注がれ、根来寺が創建されます。
鎌倉時代には頼瑜僧正により新義真言宗が成立。戦国時代には戦乱により僧侶たちが根来寺を離れ、専誉僧正は豊臣秀長公に招かれて奈良の長谷寺で「豊山派」を興しました。派名は長谷寺の山号「豊山」に由来します。江戸時代には、徳川綱吉公の生母・桂昌院が建立した護国寺が江戸での拠点となり、全国に3,000カ寺、僧侶5,000人、檀信徒数200万人を擁する宗団となりました。
龍光院の歴史
【所在地】 岩井、字屋敷四二四番地
【具名】 岩井山龍光院安楽寺
【宗派】 真言宗豊山派
【本尊】 不動明王
【由緒】
龍光院は岩井地区の中心部に位置し、隣接する将門神社と南面して並んでいます。『寺院明細帳』には長享2年(1488)創立と記され、寺内には明応10年(1501)の板碑が残ります。豊山派の古刹であり、隣の善瀧寺と同時期に創建されたと考えられます。
地蔵堂には、平将門の娘・如蔵尼が父と一族を弔って祀った地蔵尊があります。安政3年(1856)に返還された尊像が祀られており、現在の堂宇も同年に越後国の棟梁・虎蔵により再建されました。
元和2年(1616)の大火で堂宇を焼失し、文化12年(1815)に本堂が再建。堂内には地元の旧家の家紋が極彩色で天井に描かれています。山門は元禄年間(1688~1704)の建築で、現在も残っています。
【行事】 八月十八日 施餓鬼会
【石塔】
1. 地蔵尊 宝永三年(1706)
2. 標石(新四国七三番)文化五年(1808)
3. 石幢(六地蔵)文政十三年(1830)
4. 地蔵尊 嘉永元年(1848)
5. 地蔵尊(元号破損)
【所有地】
境内地:1,580.04㎡
その他:8,643.56㎡
合計:10,223.60㎡





平将門
龍光院は平将門に深く所縁のあるお寺です。隣接する将門神社には、貴重な彫刻が施され、全国的にも珍しい建築様式が見られます。
将門の三女・如蔵尼が父の霊を弔うために創建したとされ、龍光院の地蔵堂にはその如蔵尼によって祀られた地蔵尊が安置されています。









