弘誓院について

蓬莱山 弘誓院について

弘誓院の歴史と信仰

真言宗豊山派の寺院である弘誓院は、下総観音霊場三十三番の結願所である名刹です。九世紀はじめ、行基によって開山されたと伝えられ、谷津の中に建つ趣ある古刹として長く親しまれてきました。

室町時代には、「高城下野守胤則」「原兵部小輔胤定」「相馬弥七郎胤光」らが大檀越として珍宝を寄進しており、当地の豪族たちの厚い帰依を受けていたことがわかります。また、戦国期には柳戸砦に近い立地から幾度も戦火に見舞われ、天正末期には伽藍が焼失したと伝えられています。

昭和四十五年(1970)、東京大手町の高速道路工事現場で発見された梵鐘には、「平 胤弘」の名と「下総国南相馬郡泉郷柳渡 福満寺」、そして「文正二年(1467)」の元号が刻まれていました。この「平胤弘」は、奥州相馬氏の「相馬胤弘」とする説もありますが、年代的な齟齬から別人であると考えられています。当時この地域を治めていた相馬氏、手賀原氏、高城氏の一族に関連する人物であった可能性があります。

戦国後期、北条氏が鉄材確保のために全国から梵鐘を集めていたことが記録されており、この鐘も弘誓院から運び出されたものでした。途中で紛失または放棄された結果、遠く離れた大手町で発見されたのでしょう。

現在の梵鐘は大正期に鋳造されたもので、染谷伊右衛門をはじめとした地域の名士たちが願主となって建立されました。柏市都市景観賞を受賞するほど、後世に残したい景観のひとつとなっている弘誓院の梵鐘は、大晦日の除夜の鐘では、参拝される皆さんに撞いて頂き、その梵音を地域全体へと今も変わらず響かせています。

本尊の木像聖観世音菩薩坐像は、鎌倉時代中期の作とされる密教系の観音像で、曼荼羅に描かれた聖観音と同じ形相をもちます。左手に蓮華を持ち、右手でその華をひらこうとする結跏趺坐の姿勢で造形されています。

仏像は平安後期以来の割矧技法を用い、鎌倉期らしい引き締まった容貌と彫りの深い衣文が特徴です。作風には十三世紀に活躍した奈良仏師・定慶の影響が色濃く見られ、独特の風合いと荘厳さを備えた貴重な一体となっています。

千葉県有形文化財に指定されており、秘仏であるため普段は非公開ですが、「柳戸の観音様」として古来より多くの人々に信仰されてきました。60年に一度の御開帳で、次回は2031年となります。

境内には柏市では数少ない天然記念物の雌雄の銀杏樹があり、秋には一面黄金色の美しい景色が広がります。雌樹には乳柱が発生しており、母乳の少ない婦人が、これを削り煎じて飲むと、乳に恵まれるという言い伝えが残っています。

本堂内には多数の絵馬が奉納されていますが、中でも「間引きの絵馬」は一際目立つ存在です。「間引き」とは「数を意図的に減らす」ことを意味しますが、人がそれを行う場合には「子返し」とも言います。故に「間引きの絵馬」には、母親が生まれたばかりの赤ん坊を絞め殺している凄惨な場面が描かれており、その後ろには全く同じ構図で鬼の絵が描かれています。貧困などを理由に我が子を殺すその所業は当に鬼そのものだということを示しています。戒めの為に奉納された絵馬です。

状態が良く残っており、貴重な民俗資料として、今を生きる多くの人に見てもらいたい絵馬です。

弘誓院 本堂と銀杏
弘誓院
間引きの絵馬
間引きの絵馬

本尊・尊像

本 尊木造聖観世音菩薩坐像(千葉県指定有形文化財)(秘仏)
尊 像 不動明王・毘沙門天・弘法大師像・興教大師像・賓頭盧尊者
延命地蔵尊(柏のむかしばなし) 参考リンク
弘法大師像(大師堂本尊)、弁財天(弁天堂本尊)
菅原道真公(天神堂祭神)
考 古妙法蓮華経版木(千葉県指定有形文化財)(県保管)
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